パリの窓から(42) 2017年5月4日レイバーネット日本掲載



混沌がつづくフランス~
5月7日 大統領選決戦投票を前に







 4月23日に行われたフランス大統領選第一次投票は、前代未聞の結果となった。二大政党の共和党(保守)と社会党の候補が敗退し、議員の経験が皆無で昨年4月に自分の政治運動「前進!」をつくったばかりの前経済大臣、中道のエマニュエル・マクロン(24,01%)と、極右政党国民戦線党首のマリーヌ・ルペン(21,3%)が決戦投票に残ったのだ。前回のコラムで詳しく紹介した「フランス・アンスミーズ(屈服しないフランス)」のメランション(19,58%)は、3月18日の「第六共和国のための行進」と最初のテレビ討論会の後にぐんぐん支持率を延ばし、3位のフィヨン(20,01%)と僅か15万票差、2位のルペンとは62万弱の票差で敗れた。

 投票前の2週間は世論調査でこの4人の支持率が19〜24%の幅にせばまり、誰が決戦投票に残るか予測できない状態になった。実際、マクロン(865万票)をのぞく3人の得票数は700万票代で拮抗したのだ。しかし、投票日の1週間〜10日前に誰に入れるか迷っていると答えた人が25〜35%いたにもかかわらず、この選挙では世論調査がかなり正確に当たった。また、棄権が多い(投票1週間前の世論調査で28%)と言われていたが、投票率は77,77%と比較的高く、前回2012年の第一次投票を1,71%下回るにとどまった。

 汚職疑惑で検事の尋問を受けたにもかかわらず、共和党のフィヨンは20%を確保し、保守の地盤が固い(とりわけ60歳以上と富裕層)ことが示された。一方、社会党候補のアモンは6,36%しか得票できず、社会党は歴史的な敗北を記録した。前例は唯一、1969年の大統領選(ガストン・ドゥフェール候補5,01%)で、当時の社会党SFIOは他の左派政治運動と合体して現在の社会党PSが発足した。現政権の大臣や前首相ヴァルスなど社会党の有力政治家が、候補者選で勝利したアモンを次々と裏切ってマクロンを支持したのだから、アモンの敗退は目に見えていた。社会党支持者の票はマクロンに流れ、またオランド政権5年間の政治で社会党に幻滅した左派の人々の多くはメランションに投票したのだ。


 さて、極右の国民戦線候補が次点で決戦投票に進出したこと自体、フランスにとって重大なのに、それが起きた2002年の大統領選(シラクと前党首のルペン(父)の対決、社会党のジョスパン元首相は僅差で3位)の際の大きな衝撃が、今回は起きなかった。15年前、国民戦線の創始者ジャン=マリ・ルペン候補は第一次投票で480万票、16,86%を獲得した。決戦投票進出を確信していたジョスパンは政界から身を引き、驚愕と悲痛の後に左派の人々は街に繰り出した。今回、ルペン(娘)は21,3%、768万票近くを得票したが、世論調査でずっと高い支持率(25〜30%)が予測されていたせいなのか、決戦にルペンが(ひょっとしてトップで)進出するのを、メディアをはじめ多くの人が「想定されること」として受け入れてしまったようだ。マクロン候補にいたっては、首席をとった子どものようにはしゃいだお粗末なスピーチの後、決戦投票で勝ったかのごとくレストランで勝利を祝って顰蹙をかった。


 事態は深刻だ。1984年の欧州議会選挙で10%以上を記録してから2002年まで10〜15%の支持率だった国民戦線は、2007年の大統領選ではサルコジに吸収されて票が減ったが、その後は着実にフランス各地(とりわけ最初から影響力が強かった地中海岸地方とフランス北東部)に根づき、2012年以降のすべての選挙(2012年大統領選、2014年3月の市町村選挙、2014年5月の欧州議会選挙、2015年3月の県議会選挙、2015年12月の地域圏選挙)で支持を着実に延ばしていた。2012年大統領選第一次と、第一次投票で国民戦線がいくつかの地域圏でトップになった2015年12月の選挙では600万票以上を得票し、得票率は27%を越えた。インターネット新聞メディアパルトや哲学者ベルナール・スティグレールは、2017年の大統領選で国民戦線が勝つかもしれないと、早くから警鐘を鳴らしていた。


 2011年に党首になったマリーヌ・ルペンは、政権をとるために国民戦線を「ふつうの政党」にイメージチェンジする戦略をとった。まず、父ルペンのような露骨な差別発言を避け、ソフトなスタイルを打ち出した。また、父ルペンをはじめ国民戦線のイデオロギーに顕著だった反ユダヤ主義を廃して、アラブ系フランス人や移民・難民に対する排外主義を「反イスラム」の文脈に転換した。極右というレッテル(実際そうなのだが)をぬぐうために「共和主義」を強調し、「非宗教(ライシテ)」という共和国の価値観をねじまげてイスラムを攻撃した。そして、従来の国民戦線の自由主義経済観から、反ネオリベラル・国家管理主義にシフトし、公共サービスの擁護、定年年齢の引き下げ(60歳に戻す)など、低所得者にアピールする社会政策と左派の主張をとりこんだ(難民の子どもには無償教育の権利を与えないなど、差別主義が基本にあるが)。この政策転換の中心人物が、2012年から副党首のひとりを務めるフロリアン・フィリポである。高等商業学校と国立行政学院出身の35歳のエリートで、反ネオリベラル・反EU、フランス主権を主張する。差別的なポピュリズムを一見社会政策的な衣で覆うフィリポ路線は、第一次投票までのスローガン「民衆の名のもとに」に表されている。

 実際、失業者が多いかつての工業地帯や農村部など、グローバリゼーションとネオリベラル経済からとり残された地域で、自分たちこそ弱者の味方だと主張する国民戦線の支持率は上がった。政権交替してきた左右の政党が状況を改善できないのだから、別の選択肢を選ぶのだという声がよく聞かれる。労働者・低所得者層を地盤にしてきた左翼政党は四半世紀来、ネオリベラル社会の弊害を最も深刻に受けるこの層に注意を払わず、彼らの代弁者でなくなった。昨年秋のアメリカの大統領選で、民主党のヒラリー候補が脱工業化の進んだラストベルトで多く得票できなかったのと同様、産業が空洞化した地域では棄権が増え、左翼政党への支持が減り、国民戦線が根づいていった。例えば、2014年3月の市町村選挙で国民戦線の市長を第一次投票から選んだ北部パドカレー県にあるエナン=ボーモン市(かつての炭坑地帯)では、今回の第一次投票でルペンが46,5%を得票した。


 

 フランスでは選挙後に必ず、政党別の得票結果を全国地図で表して、分析と過去との比較がなされる。その地図を見ると、ルペンが多く得票した地域(ル・アーヴルとジュネーヴを結ぶ北西から南東の線の東側(パリとその周辺を除く)、地中海岸)とマクロン、メランション、アモンが多く得票した地域(西側と中央部)がはっきり分かれる。人口20万人以上の大中の都市とその郊外ではマクロンとメランションが圧倒的に優勢、ルペンは人口が15000人未満の町・村で優勢だ。月収2000ユーロ(24万円強)以上はマクロン、以下がルペン。高等教育2年以上がマクロン、以下がルペン。管理職、中間層ではマクロン、労働者、従業員、失業者ではルペンが優勢。

 この結果から、グローバリゼーションの恩恵を受ける都市部と、とり残された農村部という比較がよくなされるが、フランス政治地図の研究者、人口統計学者のエルヴェ・ルブラによれば、もう少し繊細な分析が必要だという。ルペン支持が高いのは、小都市や村社会にあった伝統的な共同体生活が、1970年代からの車とスーパーマーケット・テレビ文化の発達で失われた地域。支持が低いのは、「ボカージュのフランス」とよばれる(西部地方)隣人が遠くに住んでいた地域で、収穫や結婚式などの際に行われた共同体生活の記憶が失われず、車のおかげで社会関係が逆に強化された。また、ルペン支持者はとりわけ、自分たちが「忘れられた」存在だと感じ、現在の生活がよくなると思えない人々だ、とルブラは言う。失業率や貧困度が高い地域に多いといっても、失業者は棄権が多く、失業や貧困は都市(とその郊外)のほうが深刻だが、都市部ではルペン支持は低下した。つまり、自分の身にそうした困難がふりかかるのを懸念する人々、生活が改善されると思えない人々がルペンに多く投票する。

http://tempsreel.nouvelobs.com/presidentielle-2017/20170424.OBS8462/herve-le-bras-la-carte-du-vote-macron-est-l-inverse-de-la-carte-fn.html

  メランションは今回の投票で、マルセイユ、トゥルコワンなどルペン支持が強い都市でもトップになり、またパリ郊外の「難しい地区」を多く含むセーヌ・サン・ドゥニ県ではマクロンより10ポイント以上を得票した(40%以上の市も)。フランス各地の都市郊外などを選挙キャラバンで回り、選挙人登録を呼びかけ、綱領の流布を行った成果が表れているのではないかと思われる。また、歴史的に共産党や社会党が強かったのに、近年、左翼が敗退した市(ル・アーヴルやルーベなど)でもいくつかトップになった。そして興味深いのは、若い世代ではルペン支持がトップだと言われていたのに反して、18〜24歳の得票率のトップはメランションで30%(ルペンは21%、マクロン18%)、25〜34歳のトップはマクロンで28%(メランション、ルペンともに24%)だった。これにアモンの10%、8%を加えれば、フランスの若い世代がけっして閉鎖的になったわけではないことがわかる。これらの投票結果を見ると、メランションの「フランス・アンスミーズ」運動は労働者・従業員などの庶民層、低所得層にマクロンよりアピールし、国民戦線のさらなる躍進を多少なりとも阻んだようだ。もっとも、メランションと社会党アモンの得票をたすとマクロンとルペンをしのぐ26%弱になり、この合計値は2月からだいたい変わらなかったことを見れば、環境問題と社会・政治の根本的な変革を中心にすえたプログラムで早くから左派の共闘ができなかったのは惜しい(オランドの思惑で社会党の候補者選びが今年1月という手遅れの時期に行われたため、社会党左派と他の左派との共闘は不可能だったし、社会党政権とはっきり袂を分かつことなしに共闘はありえなかっただろう)。


 さて、決戦投票に向けて、共和党の多くの政治家、社会党と共産党はマクロン支持を表明したが、メランションは「フランス・アンスミーズ」運動の会員に、ネット上で三つの投票の選択肢(白紙、マクロン、棄権)から意見を問うことにした。そして、「国民戦線に一票も入れるな」という指示以外は出さずに、各自の選択を尊重して運動の分裂を防ぎ、一丸となって次の闘い(6月の総選挙)に臨まなくてはならないと述べた。というのも、マクロンのプログラムは、労働法改悪などオランド政権が行ったネオリベラル政策をさらに進めるものであり、経済界とメディアの支配的集団(オリガルシー)の支持を受けるマクロンはまさに、メランション投票者の多くが昨年、何か月間も大規模なデモに繰り出して闘った相手なのだ。ルペンはもちろん拒否するがマクロンもごめんだという、「ペストとコレラ」のジレンマに左派の人々の一部は苦しみ、ネット上や実生活で活発に意見が交わされている。また、2002年に左派市民は大量にシラクに投票し、シラクは82%以上を得票したが、彼らの政治主張はその後、何も取り入れられなかった。それどころか、以後15年間にネオリベラル・超消費社会化が進んで貧富の差が開き、国民戦線の影響力が増した。また、サルコジなどが国民戦線の「反イスラム」と「国民のアイデンティティ」といった言説をとり入れたために、国民戦線が言うことを「ふつう」だと感じる人が増えてしまった。2015年秋のテロの後にオランドが憲法改正案に入れようとした二重国籍者の国籍剥奪というアイデアも、国民戦線の主張なのだ。選挙で国民戦線に脅かされるたびに「共和主義戦線」を呼びかける政治家たちは、国民戦線をはびこらせる社会的困難を減らす努力をしないどころか、増長させる政治をしてきたではないか、もうその片棒を担ぐのはごめんだ、という反応もある。左派知識人のレジス・ドゥブレ、エマニュエル・トッド、ミシェル・オンフレなども、ネオリベラリズムがナショナリズムを養っていると分析し、国民戦線の排外主義とマクロンのネオリベラリズムへの服従双方を拒む、と述べている。


 5月1日のメーデーはこの状況を反映して、2002年のときのような反ルペン統一デモではなく、マクロン支持の労働組合CFDT(フランス民主主義労働同盟)は別の場所に集合した。レピュブリック広場からナシオンまで歩いたCGTSUDなどの組合や市民によるパリのデモには数万人(主催者発表8万、警察3万人)が参加し、反国民戦線のスローガンのほか、労働と社会的権利に関するさまざまな要求が提示された。「ルペンは民衆ではない」「銀行家もファシストもNO」「ペストもコレラもNO、棄権!」といったプラカードもあった。マクロンに投票すべきかどうか、このデモでも人々は議論を交わした。まだ迷っていて、「直前になってもしルペンが勝つ危険がありそうな場合、マクロンに投票する」という反応もしばしば聞いた。

 メーデーの翌日、ネット上での問いかけに答えた「フランス・アンスミーズ」会員243000人の回答結果が発表された。36 % が白紙か無効投票、35%がマクロン、29%が棄権というものだ。第一次投票前に加入した約42万人のうち、回答率が6割にいたらなかったのは、まだ迷っている人が多いからだろう。メランション投票者に対する世論調査では、第一次投票直後では過半数だったマクロンへの票移動が減る傾向にある。

 一方、フィヨン投票者についての調査でもマクロンへの票移動は半数にいたらず、ルペンへの票移動が4分の1〜3分の1ある(後述)。マクロンの経済政策や親EUの立場は保守とほとんど変わらないが、社会的なテーマ(移民のインテグレーション、同性婚、教育、文化)でリベラルな点(開放的、偏見がない)が右派の市民には気に入らないようだ。5月2日の世論調査によると、決戦投票への意向はマクロン59%、ルペン41%で、両者の差は第一次投票直後より縮まっている。

 メランションは一貫して国民戦線とその差別思想に対して闘ってきたが、「マクロンに投票せよ」と言わないために強い非難を受けている。4月30日夜、彼はTF1テレビのインタビューで、「ルペンに投票するという重大な誤りを犯してはいけない、国民戦線が勝ったら国は大騒乱に陥る」と述べたが、運動の分裂を避けるために、白紙投票や棄権を選ぶ人を糾弾できない立場にある。自分の態度を非難したマクロンに対して、「フランス・アンスミーズ」投票者の票を集めたいなら、労働法改正(政令で行う)という政策を改めればよいと提案したが、マクロンには今のところ、政策綱領を変える気はないようだ。


 国民戦線が権力を握ったら(それも「緊急事態令」がつづく中)民主主義が危ないと、4月30日に社会運動、人道援助、環境保護、フェミニズムなどの分野で活動する61のNPOが「共和国の価値観を守るために」という声明を出した。科学者、精神分析医、ジャーナリスト協会、そして劇場のディレクターや映画監督、俳優、ミュージシャンなど文化人も国民戦線を阻む投票をよびかけ、シテ・ド・ラ・ミュージックや劇場での集会、レピュブリック広場ではコンサートが開かれた。国民戦線が市長になった市ではこれまで、社会活動や文化の予算が削られ、文化・芸術面で検閲が行われた。「多様性と分かち合い、自由の価値観を体現する文化と芸術は、平等と友愛の民主的な社会と不可分な存在である。他者を排除し、自分と同一的なものしか求めない自閉的な国民戦線とその反民主主義的な考えは、共和国の価値観に反するものであり、それを受け入れることはできない」と彼らは訴えた。


 ルペンは票をかき集めるために必死である。メランション投票者にアピールするために、マクロンのネオリベラル政策をメランションのような口調で攻撃する一方、フィヨン支持者を引きつけるために、フランスの歴史に関するフィヨンのスピーチの一部をぱくった。フィヨンを支持する同性婚反対運動を組織した団体と、サルコジ政権で大臣を務めたクリスティーヌ・ブタン(キリスト教民主党、伝統主義カトリック信者)はすでに、ルペン投票をよびかけており、フィヨンがマクロン投票をよびかけたにしても、共和党支持者(とりわけ伝統主義カトリック信者)の中にはルペンに投票する人々がいるだろう。

 それに加え、第一次投票で4,7%を得票した保守右派小党「立ち上がれ!フランス」の党首、ニコラ・デュポン=エニャン(フランス主権主義)が4月28日、政府をつくるための協定をルペンと結んだと表明した。ルペンは、大統領に選出されたらデュポン=エニャンを首相に任命し、ユーロからフランに戻るという政策綱領の公約は「必ずしも前提ではない」と述べた。EU離脱とフランへの回帰は国民戦線の経済政策のもとをなす要素だが、多くのフランス人(とりわけ保守)がこの政策を怖れており、また国民戦線内部でも批判があるため、決戦投票で保守の有権者を得るために転換を決めたらしい。しかし、それでなくてもトランプ流の「代替的事実」(虚偽)にもとづく国民戦線の政策は、ますます支離滅裂になった。


 5月3日に行われた両候補の討論会で、ルペンはトランプ流の多数の虚偽とあてつけ、デマゴギーを使って、相手の攻撃に終始した。マクロンの説明を絶え間なく遮り、「システムの候補者」「ドイツに服従」「イスラム原理主義に服従」などと罵り嘲笑し、討論にならなかった。フランスの大統領候補討論で、これほど次元の低い言説が大量に吐き出されたことはかつてない。マクロンがルペンの歴史修正主義(第二次大戦と植民地支配について)や排外主義に対して、かなり的確に反駁したのはせめてもの救いだったが、フランス史上最低の大統領候補討論だった。環境問題と文化政策はテーマに含まれず、討論を企画したテレビ・ジャーナリズムのお粗末さも露呈された。そして、ルペンのような候補者が20%以上も得票して決戦に進んだことに、改めて目眩いと恥辱を感じた人が多かったのではないだろうか。

 ちなみに、ルペンと国民戦線の汚職疑惑などについて前回触れたが、インターネット新聞のメディアパルトは同日、シリア内乱中も経済活動を続けられるようにISと秘密裏に交渉したラファルジュ(ラファージュホルシム)社について、新たなスクープを発表した。交渉した人物が極右活動家で、2014年春の市町村選挙の際、パリの国民戦線リストの候補者だったというのだ。


 これほど混沌とした状況がつづく大統領選挙は、フランス史上初めてだろう。両候補の得票数をたしても有効票の45%にしかならず、双方が従来の左右両陣営候補のような広い賛同を得られないため、多くの国民を納得させる大統領を選出することができないのだ。どちらが選出されても、6月の総選挙で議会の過半数を得られない可能性が高いから、大統領と議会が一致しない不安定な政権(コアビタシオン)になることも大いにありうる。共和党と社会党では、分裂や再編成が起きるだろう。第五共和政の大統領制というシステムは、もう終わらせる時期にきているのではないだろうか。

 決戦投票では第一次より棄権が増えることが予測される。今のところマクロンが優勢だが、ルペン当選の危険がないわけではない。その場合に何が起きるかも未知数だが、多くの市民が危惧するように、民主主義と共和国の理念が踏みにじられるフランスの一大危機が訪れるだろう。迷う市民たちが賢明な選択をすることを願わずにはいられない。

 ローマ建国史にあるホラティウス三兄弟とクリアトゥス兄弟の決闘という伝説では、ひとりだけ生き残ったローマのホラティウスが、負傷した3人のクリアトゥスをひとりずつ殺して、ローマに生還した。一度にいくつもの敵と闘うことはできないから、最も危険な敵(極右の国民戦線)を倒すことが先決ではないだろうか。今後、疲弊しきった第五共和政に替わる新たな民主主義政体(第六共和国)をつくり、環境保護と富の分配に基づく根本的な社会変革をめざすために。


2017年5月4日 飛幡祐規(たかはたゆうき)

http://www.labornetjp.org/news/2017/0503pari